「なぜ今、『ことば』なのか」
このような貴重な機会をいただきましたことを心より光栄に思います。関係の皆様に厚く御礼申し上げます。
本大会は、当初「ことばの講座」の成果発表という位置付けで準備して参りました。ご受講いただいた弁士の皆さまにはもちろんそのような場としてご活用いただきたいですし、その他の経緯でご登壇いただく弁士の皆さまにおかれましても、この大会を通じて、ご自身の言葉と真剣に向き合い、そして他者の言葉に真剣に耳を傾ける中で、新たな気づきや喜びが芽吹くことを心から願っております。
さて、ではなぜ今、「ことば」なのか。私は土木の専門家ではありませんし、土木広報に関しても初心者です。そんな私が、自分が取り組んできた弁論を通じてお役に立てることがあるとすれば、それは【「ことば」を使う者の心得】なのではないかと考えています。
ソーシャルメディアの発達により、今や誰もが気軽に発信者となれる時代になりました。土木広報にとってもそれは福音であろうかと存じます。実際に、多くの土木の専門家が、様々なツールを活用して魅力的な発信をなさっているお陰で、私は土木を身近に感じ、学ぶことができています。だからこそ、発信者お一人おひとりが、広報活動のみならず、日々使っている「ことば」に注意を向ける必要があると感じています。
弁論は、自分の肉声だけで思いや考えを相手に届けます。ひとたび口にした言葉を、取り消すことはできません。「ことば」は、ときに人を救い、ときに人を深く傷つけます。編集のできない、音声言語としての「ことば」をどう扱うか。これは広報活動だけでなく、人生において重要な課題であると私は考えています。人は誰しも失言をします。また、誤解もします。建設的な議論に発展すれば良いですが、そうなるためには、一定の信頼関係や問題意識が必要でしょう。
一般的に、弁論は「公(おおやけ)」に向けて発する言葉です。多様なバックグラウンドの方と、いかに心を通わせることができるか。それを「ことば」だけで試みる過程にこそ、弁論に取り組む意義があります。真剣に向き合うほど、とても苦しい営みです。真に価値ある弁論とは、一方的に主張を押し付けたり、安易な答えを示したりするものではなく、新たな議論や対話を呼び起こすようなものであると私は考えています。
弁士の皆さまの紡いだ「ことば」が、水面に落ちる一滴の雫のように、ゆっくり、そして広く波紋を描くことを期待しております。
大会審査員 有馬 優
横浜国立大学職員・日本語教師
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