全国土木弁論大会2025「有馬優杯」 奨励賞
「すべてがありがたき土木」 平野 貴大
昭和30年代後半―「現代版川中島」とも呼ばれたダム建設を巡る闘争があったことをご存知でしょうか。
九州は筑後川の治水のため計画された下筌・松原ダムの建設をめぐって国と地元の間での闘争である。 この闘争で蜂の巣のようなバリケードが作られたことから「蜂の巣闘争」とも呼ばれ強制執行を試みる国、それを阻止する地元住民との激しい闘争が10年近く展開されました。 現地の資料館に行くと当時使われた看板の現物があったり、「蜂の巣」のようなバリケードの写真があったりとその闘争の激しさを感じました。 日本において公共事業の進め方が議論になった最初の例とも言われています。 さて、わたしはいま高速道路会社に所属しています。歴史上の川中島古戦場の近くの事務所にて長野県の北半分およそ170㎞の高速道路管理に従事しています。
このエリアは日本を二つに分断するフォッサマグナの西の端にあたり、地盤が脆いのが特徴でまた建設から30年が経過し維持補修のターンに突入しています。 そして日本屈指の豪雪地帯であり、土木構造物にとっては厳しい環境であります。そのなかでわたしは、盛土や橋梁の改良工事、事前の調査設計などの計画立案、発注などを担当しています。 ときに沿線住民の方へその計画の説明をすることがあります。工事の騒音・振動、側道の一時的な通行止め、土地を貸して頂けないかといった相談事です。 多くの方は「いつもご苦労様」など温かい言葉で理解してくれます。ただ、なかには建設当時の対応についてご意見を頂いてしまい交渉が難航することもあります。 こうしたシーンに直面すると、やはり土木というものは誰かの犠牲、いや誰かが「より良い未来」を思っての理解で成り立っているのだと認識しています。 一般にインフラが整備されるとその整備効果が強調ばかりされますが、その裏では建設から改良工事のシーンまで、地元の皆さんのご負担があること忘れてはいけません。 こうして作られた無数の土木構造物もそれ自身、普段は何も語らずそれぞれ役割を果たしています。 わたしは大学で土木工学を学び、街歩きや土木遺産めぐりを趣味としてきました。ダム建設に伴う住民の移転など様々な痛みを伴ってできたというような話によく触れてきました。 そしてわたしは、高速道路というインフラを司る者として、高速道路が災害時も速やかに復旧し災害復興の支えになるよう、「当たり前にあるインフラ」であるべく、日々研鑽を積んでいく。 「すべてがありがたき土木」―これからも住んでいる地域のみならず日本中を回り、それぞれの土木が持つストーリーに耳を傾け自らの栄養とし、 |