全国土木弁論大会『有馬優杯』に向けて、大会審査員からのメッセージを公開!!
9月21日(水)開催!!詳細・観覧申込はこちら
https://committees.jsce.or.jp/cprcenter02/node/23
■審査員メッセージ |
「なぜ今、『ことば』なのか」 このような貴重な機会をいただきましたことを心より光栄に思います。関係の皆様に厚く御礼申し上げます。 本大会は、当初「ことばの講座」の成果発表という位置付けで準備して参りました。ご受講いただいた弁士の皆さまにはもちろんそのような場としてご活用いただきたいですし、その他の経緯でご登壇いただく弁士の皆さまにおかれましても、この大会を通じて、ご自身の言葉と真剣に向き合い、そして他者の言葉に真剣に耳を傾ける中で、新たな気づきや喜びが芽吹くことを心から願っております。 さて、ではなぜ今、「ことば」なのか。私は土木の専門家ではありませんし、土木広報に関しても初心者です。そんな私が、自分が取り組んできた弁論を通じてお役に立てることがあるとすれば、それは【「ことば」を使う者の心得】なのではないかと考えています。 ソーシャルメディアの発達により、今や誰もが気軽に発信者となれる時代になりました。土木広報にとってもそれは福音であろうかと存じます。実際に、多くの土木の専門家が、様々なツールを活用して魅力的な発信をなさっているお陰で、私は土木を身近に感じ、学ぶことができています。だからこそ、発信者お一人おひとりが、広報活動のみならず、日々使っている「ことば」に注意を向ける必要があると感じています。 弁論は、自分の肉声だけで思いや考えを相手に届けます。ひとたび口にした言葉を、取り消すことはできません。「ことば」は、ときに人を救い、ときに人を深く傷つけます。編集のできない、音声言語としての「ことば」をどう扱うか。これは広報活動だけでなく、人生において重要な課題であると私は考えています。人は誰しも失言をします。また、誤解もします。建設的な議論に発展すれば良いですが、そうなるためには、一定の信頼関係や問題意識が必要でしょう。 一般的に、弁論は「公(おおやけ)」に向けて発する言葉です。多様なバックグラウンドの方と、いかに心を通わせることができるか。それを「ことば」だけで試みる過程にこそ、弁論に取り組む意義があります。真剣に向き合うほど、とても苦しい営みです。真に価値ある弁論とは、一方的に主張を押し付けたり、安易な答えを示したりするものではなく、新たな議論や対話を呼び起こすようなものであると私は考えています。 弁士の皆さまの紡いだ「ことば」が、水面に落ちる一滴の雫のように、ゆっくり、そして広く波紋を描くことを期待しております。
大会審査員 有馬 優 |
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「土木弁論大会において、大切にしたいこと。」 私が土木弁論大会において心がけたいのは、皆さんと一緒に、人々の心身ともに健康な、ごく当たり前の暮らしを支える「土木」という働き方をつくっていく、ということです。 これには、全世界の方々が関わっています。なぜなら、土木のない世界はありえないから、です。土木の分野に関わり、様々なインフラストラクチャーをつくる人ばかりでなく、これらを使う人たちとともに、誰もが人らしく、健康的で平和に暮らせるような社会を育んでいきたいと思います。 そのために、私は土木が寄って立つ「地域性」、言い換えると「風土」を大切にしたいと思います。『不易流行』いつの時代も、どんな場所でも、誰とでも、変わらないことと、変わっていくこと、をどちらも大切にする、そんな「おたがいさま」を大切にする土木の働き方、を知って頂きたいと思います。 私は、土木弁論大会の審査では、地域の風土を支え続けてきた土木の仕事を、用強美の観点からエンジニア・研究者として評価したいと思います。弁論において、①社会における土木の適切な役割、②ハード・ソフトの組合せによる安心・安全な場、③佇まいの美しさ、の三つが述べられているか、を評価の観点とします。
大会審査員 田中尚人 |
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今回の有馬優杯土木弁論大会では、多くの大会に関わってきました自分にとっては、新機軸である「用強美」ということを教わりました。土木と言えば、硬くて、泥臭くて、そのくせなんとなく近未来的な香りを感じる世界でした。その世界の最先端に、少しでも関われることで、新たな引き出しができる喜びでいっぱいです。土木の世界においては、全くの素人ではありますが、だからこそ、魅力や想像を超越した世界観を伝えてほしいと願います。この弁論によって、土木の道を志す若者に大いなる希望を与えることを期待しています。それこそ、弁論はこうあるべきという古い慣習を打破するとともに、「守破離」を大事にしながらも、イノベーションを起こすものと確信しております。
大会審査員 石井純一 |